ナムコ創業者中村雅哉さん追悼!パックマンの歴史を築いた

ゲーム男の子

2017年1月22日、バンダイナムコゲームス最高顧問の中村雅哉さんがお亡くなりになりました。

パックマンや太鼓の達人など、多くの人気ゲームを生み出したナムコの創業者が天国に旅立ったということで、世界中のファンが涙しました。

今回は雅哉さんのその偉大なる功績とナムコの看板キャラパックマンの歴史を振り返ってみたいと思います。

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ナムコ創業

中村雅哉さんは、1925年(大正14年)12月24日、東京都生まれ。

1948年に横浜工業専門学校(当時)を卒業し、1955年に横浜の松屋デパート(当時)屋上に有限会社中村製作所を設立しました。主な活動内容はデパートの屋上にある遊具の管理や制作。

1971年に「namco」ブランドの使用を開始し、77年に社名をナムコに改めます。なぜナムコと名付けたのかと言いますと、中村製作所の英語名「Nakamura Amusement Machine Manufacturing Company」の頭文字をとって「ナムコ」と名付けたそうです。

74年にアタリジャパンを買収し、アミューズメント事業に乗り出し始めます。80年に誕生したゲーム「パックマン」が世界的大ヒットを飛ばし(後述)ナムコの名は世界に知れ渡ります。

2005年9月に旧バンダイと統合し「バンダイナムコホールディングス」を設立、雅哉さんは最高顧問、翌年6月には現在のバンダイナムコゲームス(当時)名誉相談役に就任しました。

2015年に社名を「バンダイナムコエンターテインメント」に改名し、現在に至ります。

パックマンの偉業

任天堂やスクエア・エニックスなどと同様、ナムコも数多くの名作ゲームを生み出しました。例を挙げると

太鼓の達人

ゼビウス

ファミリースタジアム(ファミスタ)

ギャラクシアン

マッピー

ワニワニパニック

鉄拳

リッジレーサー

etc.

どれも1度は名前を聞いたことのある有名なタイトルばかりかと思います。そして、ナムコから誕生したゲーム界のスーパースターが「パックマン」

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パックマンの誕生秘話

パックマンとは、1980年に誕生したドットイートアクションゲームで、4匹の性質の違うゴーストをかわしながら迷路内の点(クッキー)をすべて食べるという内容。

パックマンはゴーストにあたるとミスになるが、四隅にあるパワーエサを食べるとゴーストがイジケ状態になり、食べて倒すことができるようになります。

当時はインベーダーゲームをはじめとしたシューティングゲームブーム真っ盛りで、あまり縁のない女性がゲームに入りづらいという傾向がありました。

そこでナムコの社員だった岩谷徹さんは、「食べる」ことを主軸に置いたゲーム性、操作は十字キーによる方向操作のみ、敵となるゴーストをカラフルに配置するといった、女性がとっつきやすい要素を組み合わせた「パックマン」をアーケードとしてリリースした結果、大ヒットを記録。 女性客を引き込むことに成功しました。

パックマンのキャラクター像はピザから生まれたとされ、一切れ取ったときのピザの形からパックマンを思いついたそうです。

パックマンの人気は日本のみならず世界にも飛び火し、アメリカのミッドウェイ社にライセンスが与えられると大ヒットを記録、あのミッキーマウスに匹敵するほどの売り上げをたたき出しました。

ゲームのみならずアニメの放送や楽曲の製作も行われ、「80年代のミッキーマウス」と呼ばれるほどの一大ブームを巻き起こしました。

パックマンがギネスに??

2005年には「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス世界記録にも認定されました。

その後もパックマンの活躍はとどまることを知らず、任天堂ゲームキャラクターが一堂に会する「大乱闘スマッシュブラザーズfor3DS/WiiU」ではバンダイナムコ代表のキャラとしてゲスト参戦しました。

そして「シュガー・ラッシュ」、「ピクセル」、「仮面ライダーエグゼイド」といったゲーム関連の映像作品には必ずと言っていいほど登場。

さいごに

以上、ナムコ創業者中村雅哉さんが立ち上げたナムコの歴史とパックマンについてまとめました。

半分パックマンの歴史みたいになってしまいましたが、雅哉さんがいなければパックマンをはじめとする人気ゲームが誕生するきっかけさえ生まれなかったわけですし、ギネス記録まで取ってしまうくらいの人気ゲーム会社を設立した彼の功績はもはや任天堂やスクエニに並ぶのではないでしょうか。

私は基本的に任天堂派ですが、たまにはパックマンも遊んでみようかと思います。

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